やさぐれリーマンの挑戦

田舎のペーペーやさぐれサラリーマンが、気まぐれ社長によって突然にもたらされた人生の壁に挑むことを記した日記です

兄貴

最近、この殴り書きブログを見ていただく方が
徐々に増えてまいりました。
お忙しい中、学習中、ふとした休憩時間に
このような駄文を読んでいただいていることを
とてもうれしく思います。


資格勉強の進捗備忘録や雑多な内容の日記ですので・・・
内容自体は取り立てるほどのものはありませんが・・・


この国の田舎の片隅に、
資格取得に足掻いているこんな奴もいるんだな、と
何かの息抜き程度に読んでいただけると幸甚です。






今日は久しぶりに車体修理や整備工をしている
7歳上の兄貴(長男)の職場に行きました。


理由は・・・バンパー角のヘコミを修理するため・・
実は去年の秋口・・・
近県の量販店で買い物をしているときに当て逃げされたんですね。
取替用の格安中古バンパーが届いたので修理することになりました。



兄貴「おーお前、勉強してるんだって?」
やさ「中小企業診断士勉強してるよ」
兄貴「ん?税理士みたいなもん?」
やさ「いやいや企業の経営状況を診断して改善策を提供する仕事だよ」
兄貴「はあああ?お・・お前・・・そんなことしてんの?」
やさ「お、おう」
兄貴「こりゃあオモシレーw 資格取れたら賞金10万やるよw
   ちゃらんぽらんなお前じゃ無理だと思うけどなwwwwww」
やさ「無茶や無理をするのは俺も兄貴も一緒だよ
兄貴「ああああ?何が一緒だ?」


ここからは、まーたいつものやり取りですよ。
資格一つ勉強してるだけっつーのに皆 紋切り型の反応ばっか。
どんだけショボく見られてるんだろう。
今更ながら自己に対する評価の低さに辟易する。






兄貴と一緒といったのは「理由」がある。
【ここからはやや長いのでお時間と
 ちょっとしたご興味があればお読みください】





理由を説明するには兄貴の生い立ちから説明しなければならない。



兄貴・・・
小学校時代は勉強はとてもよく出来た所謂「いい子」だった。
両親も出来の良い兄貴を可愛がり、
塾や習い事などへ積極的に通わせていた。
国語算数理科社会 テストはクラスでも塾でも悉く満点。
習い事も市や県の大会で優勝入賞は当たり前の「出木杉」君だった。


そんな周囲の期待を一身に受ける兄貴ではあったが、
ある事件から周囲の評価や兄貴自身の挙動は徐々に変貌していくこととなる。
事件とは・・・
兄貴を日頃から、からかって遊んでいたクラスメイト数人を学校に
持参したトンカチで後ろから不意打ちしボコボコに殴打
したのだ。
周囲は兄貴に対し同じ過ちを繰り返さないようにこっぴどく叱り飛ばしたが・・・
心のタガが外れたのか、中学に入って以降、
兄貴はクラスメイト等へ暴力を繰り返すようになった。
類は友を呼ぶもの。
兄貴の周りはいつしか素行の悪いヤンキー(笑)が集まるようになり、
兄貴は徐々にそういう輩達のリーダー的存在の一人になっていった。


まだ小学校低学年で庭で縄跳びして遊んでいた俺に、
見覚えがない学生服のヤンキーが目瞼を腫らし
鼻血を滴らせながら、俺に三〇矢サイダーを渡してきて、
「君のお兄さんがサイダー買ってあげろっていったので渡します。」
って言ってきたのは今思い出しても衝撃的な出来事でした。


高校時代は幸い、
暴力まっしぐらの修羅道への転向はしなかったものの・・・
走り屋として原チャや車を改造しまくりーの。
女を家に連れ込みまくりーの。
次兄にはタバコ買いのパシリをさせまくりーの。
やりたい放題でした。


そんな兄貴が嫌で嫌でたまらなかった。
「いつかボコボコにして家から追い出すことになるんだろうなー」
子供ながらにそう思いながら、
空手や少林寺拳法の道場へ通っていました。
兄貴の悪行は加齢につれ若干の丸みは帯びていきつつも、
兄貴がアラサーになるまで続きました。


俺が大学時代に買った中古車(兄貴が勝手にデコレーション済)の
フロントガラスが兄貴の走り屋グループと
敵対する不良グループ(と思われる)により
雨降る冬の寒い真夜中に塀用のブロックをぶっ込まれ、
粉々に粉砕された出来事は昨日のように思い出せます。


そんなやりたい放題の兄貴が腐りきった行動を漸く改め始めたのは、
親父の急病からでした。


まだ60代手前だった親父が心筋梗塞で倒れ、
入院中に深刻な肺炎を併発し危篤になったんです。


日頃から行動を改めろと言い聞かせてきた親父が、兄貴家族を呼び出し、
渾身の力を振り絞って数分間兄貴に何かを囁きました。


兄貴は自分の子供の目の前にもかかわらず泣き崩れ
「今まですみませんでした。 すみませんでした。」
ひたすらそう謝っていました。


今思えば兄貴が人に謝る姿を見せたのは俺が物心がついてから
初めてだったんじゃないかと思います。


しかし幸い、親父の生命力がとんでもなく、
そこから2カ月で退院する奇跡の回復を見せ・・・


それに勇気付けられた兄貴は自動車整備士へとキャリアを積むべく
専門学校へ通い、資格を習得後に
まっとうな人間の道を歩みだし、今に至ります。




改心後の兄貴の自動車整備士への挑戦


今の俺の中小企業診断士への挑戦




切欠の重さに大きな違いがあるとはいえ、
状況は似ているかなと思った。



それだけの理由。



この切欠のようなものは
所謂「外発的動機づけ」になるのかな?




バンパーの交換が済んだ愛車。


その中には栄養剤「リポビタン〇」が2箱 積まれていた。


不謹慎だが、親父の病気に感謝する。

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